シャッターチャンスを探して

探しているものはきっと、日常の中に。

道を辿る

以前書いた気もするけど、就職して2年目の終わりから数ヶ月、仕事を休みました。

このブログを始めたのは復帰してから3、4ヶ月経った頃だったと思います。

復帰してから、自分がどう過ごしているのか、これからどう過ごしたいのかをあとから振り返れるようにしようと思ってこのブログを始めたのですが、できてなかったなぁ と思ったので、少しずつ何回かに分けて書いていけたら良いな と思っています。



最近、私がしていることの1つが、会社帰り(定時で上がれた日)に休んでいた頃に通っていた場所を散歩する ということ。


今年の秋で、復帰してから4年目になります。
その間、色んなことがあったけどどうにかお仕事を続けてこれました。
ありがたいことです。
ただ、どういう気持ちで復帰したのか、復帰する時に何を思っていたのか、そういう気持ちがだんだんと遠くに霞んでいくような気がして、それが少し怖くて散歩をするようになりました。


片道10分くらいの道をとぼとぼ歩きながら、どんな気持ちで向かっていたのかな とか、あの時、一緒に通っていた人たちとどんな会話をしてたっけ?とか。
4月に入ってから、そんなことを1つ1つ思い出していく日々を過ごしていました。


最初は、懐かしいなぁ(変な表現ですが)という気持ちでいっぱいだったけども、だんだんと何を気にしながら過ごしてたかな とか、どういうことをしてたかな というのが気になって、本棚の奥から当時の資料を引っ張りだしてもう1度読んだりもしました。


少しずつ、少しずつ思い出して気がついたのは、休んだ頃と比べたら、だいぶ前向きに自分なりに楽しく生きているということでした。

休んだ頃、私は「どうせ自分なんて……」と思う癖がありました。そう思うことで逃げてやり過ごしていたような気になっていました。

でもそれは「私は粗末にされても仕方のない人間です」と言うことで、周りで手を差し伸べてくれていた人たちにも失礼な態度でした。

そのことに気づけたのは復職する1週間くらい前のことでした。


今でも、疲れきっていたり余裕がなかったりすると、そうやって逃げてしまうことがあります。
(そのことに気付くのは少し時間が経ってからで、またやってしまったと思うのですが)
でも、以前よりはだいぶその回数は減っている はず。

自分なりにできることを増やそう、できなかったことに目を向けるだけでなく、できたことに目を向けよう。
そう思って過ごすことで「どうせ自分なんて……」という泥沼から脱却できつつあるのかもしれません。


時として大失敗したり、傷付いたり傷付けられたりを繰り返すかもしれないけれど、それでも人と関わることを諦めないでいよう。そう思える自分であろう。
これが復帰した時の1番大きな目標で、今もそれは変わりません。
たぶん、生きてる限りずーっと対峙することになると思います。


長くなりましたが最後に。

人は、他の人からすべてのものを奪うことができるかもしれない。
でもただ1つ、自分のやり方で生き抜く自由を奪うことだけはできない。

復帰してからしばらく経って買った本で出会った言葉です。
なんだか好きな言葉で、時々読み返しています。
みんな、自分のやり方で毎日を生き抜いているんです。きっと。
そう思うと、何だか前を向けるような気がして。