ウミガメのスープ
こんばんは。
お久しぶりです。
気がついたらまた1ヶ月ほど経っていました。
最近、多いですねこのパターン。
そんなわけで。
本日は1年前にとあるサイトに投稿したお話を投下しようと思います!
久しぶりに読み返したんですが、何を思って書いたかは謎です。
自分もこんな話書くんだなあ と少し驚いてます。
今日は一気に秋の気配に包まれた1日でした。
もう夏じゃないんですね。しみじみ。
前置きがすっかり長くなりましたが、それではお話スタートです。
↓
「ウミガメのスープ」
作 高幡 あや
男がそのレストランに立ち寄ったのは偶然だった。
その晩はひどい嵐で、どの店も早々と閉めてしまっていた。
暗い街の中を歩いていると、ぽつんとした明かりが見えた。
近づいてみるとそれは、こじんまりしたレストランだった。
ドアを開けると、カランカランと、ベルの軽やかな音が響いた。
「いらっしゃいませ。」
耳もとで声がしたので男は驚いた。ドアのすぐ側にウェイターが控えていたのだ。
ウェイターはこれといって存在感がなく、まるで影のようだった。
「ご注文は。」
そう話しかけられて男は、自分がテーブルに案内され、
目の前にメニューが広げられていることに気付いた。
彼は何を食べたいのか、どれくらい空腹なのかもあやふやだった。
しかし、気がつくと口がひとりでに開き、言葉を発していた。
「…ウミガメのスープを。」
「かしこまりました。」
ウェイターは軽くお辞儀をし、吸い込まれるように店の奥へと消えていった。
男以外に客はなく、店内は古ぼけてはいたが、とても手入れが行き届いていた。
暖炉の上には飾り物のお皿が並べられているが埃を被ったものは一つもなく、
どのテーブルにも小さい花瓶が置かれ、花が丁寧に活けられていた。
彼は少しぬるくなった水を流し込みながら窓の外を眺め、料理が運ばれてくるのを待った。
注文をしてからしばらく経ったが、料理が運ばれてくる気配は一向になかった。
それどころか、料理を作る音もしなかった。
ウェイターに文句を言おうと立ち上がった時、男はあることに気が付いた。
ドアがない。
店内に入る時に使ったはずのドアがどこにもなかった。
ドアがあった痕跡すらも残っていなかった。
店内にあったはずの厨房に続くドアも、お手洗いも、ドアというドアが一切消えていた。
ウェイターは、と思って必死に探したが人の気配すら残っていない。
男は四角い空間に閉じ込められたのだ。
「悪い夢を見ているのだ。」
そうだ。悪い夢を見ているのだから、きっと醒めるはずだ。
男は自分にそう言い聞かせながら自分を落ち着かせようとしたその時、
ぱさりと音がして彼の足元に何かが落ちた。
それは、見覚えのある字で丁寧に書かれたレシピノートだった。
開かれたページの料理は「ウミガメのスープ」。
ノートを拾い上げ、彼はレシピを読んだ。
かつて一緒に暮らしていた女がよく作ってくれたメニューだった。
…彼女は生きている?
そう思った瞬間、男は急に眩暈がするのを感じた。
そんなはずはない。あの女は、彼女はもういないはずだ。
あの晩、酒に酔った勢いで突き飛ばした時。
彼女は強かに頭を打ち付けてピクリとも動かなかった。
それに。俺は彼女に関するものを全て処分した。
服もアクセサリーも本も、手紙も、何もかも。あのレシピノートだって。
それなのになぜ。
突然、男の視界がぐにゃりと揺れた。
「お客様、お客様。」
耳元でささやくような声が聞こえ、男はビクッと身体を震わせた。
ウェイターがぴったりと張り付くように立っていた。
「大変お待たせいたしました。ウミガメのスープでございます。」
ウェイターは静かに料理を置き、去って行った。
男は辺りを見回した。
店内は四角い閉じられた空間ではなく、すっかり元に戻っている。
男は狐に化かされたように呆然としていたが、正面に置かれたスープに目をやった。
かつて、彼女がよく作ってくれたスープだった。
男は震える手でスプーンを持ち、ゆっくりと一口啜った。
紛れもなく、彼女のスープだった。10年の歳月を経てもなお、変わらぬ味だった。
ひと口、またひと口と彼はスープを口に運んだ。
女は、厨房からホールの様子を窺っていた。
男の風貌はすっかり変わってしまっていたが、それでも面影は残っていた。
お金を払い、そそくさと出ていく男の背中を、厨房の陰から彼女は見送った。
男が店を出ると、嵐はすっかりおさまっていた。
「さあ、ウミガメのスープよ。」
鼻歌交じりにそう言いながら、彼女が食事の用意をしている光景が頭から離れない。
男はしばらく立ち止まっていたが、微かに首を横に振った。
全てを飲み込むような夜の闇に、男の姿が吸い込まれて消えていった。
銀の時計
ある晩のことでした。
シンデレラはお城のバルコニーから臨む湖を眺め、かつて自分が暮らしていた街に思いを馳せていました。王子さまは隣国の王子と狩りに出掛けているので、久しぶりに独りきりで過ごす夜でした。
ふと、隣に誰かの気配を感じて振り向くと、それは昔かぼちゃの馬車とガラスの靴を用意してくれた魔法使いでした。「お久しぶりですね、シンデレラ。…いえ、この呼び方では失礼にあたりますね。プリンセス。ご機嫌いかがですか。」
まぁ とシンデレラは驚き、魔法使いを見つめていました。魔法使いはそんなシンデレラの様子を見ながらこう続けます。
「今日は、貴女にプレゼントを持って参りました。」
彼はポケットから小さな銀の懐中時計を取り出し、彼女に手渡しました。ネックレスのような華奢なチェーンがシンデレラの手首を伝ってさらさら と音を立て、時計は青白い月の光を浴びて鈍く光っていました。
「蓋を開けてはなりません。」
魔法使いの言葉に、シンデレラは手を止めました。
「もしもこの先、貴女が『今この時を全て手放しても良い。あの時に戻りたい。』そう思うときがあったら。この懐中時計の蓋を開いてください。この時計は魔法の時計。貴女が心から望む時間に誘い、閉じ込めてくれることでしょう。」
シンデレラはじっと時計を見つめていましたが、やがて呟くように尋ねました。
「本当にこの時計は、私が望む時間の中でずっと過ごすことを叶えてくれるのですか。」
「貴女が心からそう望むのであれば。」魔法使いはそう答え、静かに微笑みました。
「シンデレラ。僕は貴女が時計の蓋を開くことはないと思う。いや、あって欲しくない。でも僕は。もし貴女が苦しんでどうしようもない時は、少しでもその辛さから救われて欲しい。逃げても良い場所があって欲しい。ここは逃げる場所がない。貴女が何を思ってるか、感じてるかなんておかまいなしだ。」
冷たい風がさっと吹き抜け、二人の頬を撫でていきました。
「そうね。」シンデレラは顔をすっと上げ、湖より遥か遠くを見つめながらこう続けました。
「…私ね、貴方に会って魔法をかけてもらった時に決めたの。私の幸せは私が決める って。この時計の蓋を開くことはないわ。きっと。でも、いつもそう思えるかは分からない。だから賭けてみたいの。自分自身を。それでも良いかしら。」
「構いませんよ。そろそろお別れの時間です、シンデレラ。ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
魔法使いは夜の闇にすっと消えていきました。銀の時計はシンデレラの手に包まれ、柔らかく鈍く光っていました。