シャッターチャンスを探して

探しているものはきっと、日常の中に。

サイフォンコーヒーの思い出

かつて、アルバイトをしていた喫茶店にはサイフォンコーヒーがあった。

いくつものサイフォンコーヒーのフラスコ(というのかな)が照らされていて、

ゆらゆらと光っていた。

オーダーを通すと、コーヒーを淹れる係りのお姉さんがささっと慣れた手で

コーヒーを淹れていた。

 

アルバイトじゃない日もお店の前を通りかかると、サイフォンコーヒーの前には

いつもお姉さんが立っていて、お姉さんの横顔がサイフォンコーヒーの光で

照らされていて、どことなく神秘的だったのを今でも覚えている。

 

基本的に忙しいお店で、どんくさい私はあまり優秀なアルバイトではなかったと思う。

半年という期間だったけども、今でも大好きなお店だ。

 

そのお店はもうない。

正しく言うときれいになって新しい場所で営業しているのだけれども。

サイフォンコーヒーの光がきらめいているのを遠くから目にする機会がなくなって

はじめて、私はあの風景がとても好きだったんだと気づいた。

 

 

 

半年ぶりに、やっともう一度行く決心がついて自分が好きだった場所に行ってみたら、

なくなっていた。

少しずつ、じわりじわりと寂しくなって、かつてアルバイトしていた喫茶店のことを

久しぶりに思い出した。

ひょっとしたら移転しただけなのかもしれないけれど、調べる勇気がなくて。

でも、そのままにしたくなくてブログを書いている。

 

 

 

その帰り道。

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正夢の話

突然ですが、正夢って見たことありますか?

 

今日は正夢の話を。

正確にいうと「夢で見た時はどういう光景か分かってなかったけど、突如として夢で

見た光景と目の前の光景と一致していることに気付いてびっくりした」話なんだけれ

ども、まあいいや。

 

私はあまり職場の夢を見ることがないのですが、その分たまに職場の夢を見ると結構

印象に残ります。普段、見慣れている事務所の机周りとか店舗が夢の舞台になることが

ほぼないので、夢の中でも仕事してる……という夢を見ないのです。

そう考えるとめっちゃラッキーだな、自分。

(ちなみに仕事で気になることがある時は、気になることに関わり合いのある職場の人

と職場ではない場所でがっつり関わって消耗する夢を見ます。)

 

話がそれた。

で、3ヶ月ほど前に珍しく事務所が舞台の夢を見たんです。

事務所のフロアに自分だけが残って仕事していて、どうやら店舗の販売実績のグラフを

Excelで作っている という夢で、特にこれといったことはないけれどもなんだか印象に

残っている夢でした。

 

そして今日。(日付変わってるから昨日か)

残業してて、気が付くとみんな帰ってて自分しかいなかった。

最初は「今日、みんな帰るの早くない?」としか思わなかったんだけれども、資料を

作っているうちに、なんだか胸の内がざわざわしてきた。

「この光景、見たことあるぞ……。」

いや、気のせいや

そんなことどうでも良いから早く帰りたい と一生懸命自分に言い聞かせてPCの

画面にもう一度目をやって私は気付いた。

 

これ、夢で見た景色じゃん。全部一緒。おお。

 

作ってる資料のグラフの色とか、目の前のがらーんとした感じとか。

(つい最近、目の前に座っていた先輩が違う課に異動になってしまったので私の前に

誰も座っていない)

夢で見た時は「なんでグラフ作っとるんだろ~。なんか微妙に目の前の景色違うし」

くらいにしか思ってなかったのに。

 

別に怖い話でもなんでもないはずなのに、そう思った瞬間、めっちゃ怖かった。

なんだろう。見ちゃいけないものを見ちゃったような。

なんかそんな気分がした。

 

肉体がタイムリープするとかって空想の話だと思うけど、魂というか人間の中身が

タイムリープするのはなんかありそうな話だなあ なんて。

身体が時空を越えるのはそれなりの科学の技術を要するけれども、魂が時空を越えるの

って案外あるのかもなあ。自分は「夢を見た」って思ってるけれども、それって本当

なのかしら。なんて。

帰りの電車でそんなことを思ってました。

 

気づいた瞬間、とても怖かったのに文章にしてみると「だからなんやねーん!」って

話だな。オチはない。これで終わり。

最後に。話にきちんとオチをつけることのできる人はとてもエライ。

化粧の話

以前、書いたか書いてないか忘れてしまったけど、精神的に追い詰められると

自分の顔とか姿を客観視するのがとてもしんどくなる というのは本当だな と

実体験をもって思った。

 

具体的に書くと、朝起きて顔洗って、鏡を見る。

化粧水をパタパタして乳液を薄く伸ばして肌になじませる。

ここまでは何とかなる。

(ダメになってくると、化粧水をパタパタする時の肌感覚がなんかダメになってくる。

 結果として何もできず、すっぴんのまま外に出る時間になってしまうのだけど、

 だんだんと億劫になってノーメイクで出かけるようになった。最終形態の話)

 

少し話がそれたので戻そう。

で、何とか乳液を顔に塗りたくるところまでは鏡を見なくてもできるのだが、

下地やファンデーションを塗るとか、アイメイクやチークという段階になってくると、

鏡を見ながらしないとなかなかうまくできないよね というので、鏡を見る必要が

出てくるのだけれども、しんどいのだ。これが。

 

鏡で自分の顔を見ながら「今日は少しやつれてるように見えるから、チークの入れ方

気をつけよう」とか「アイメイク、ついつい塗りすぎて目に謎の迫力が出るから少し

セーブしながら塗ってみよう」とか「そもそもこの口紅、自分の顔色と合わないな」

とか、そんなことを思いながら自分の顔を加工(語弊はあるかも)していく作業の

ような気がする。

(化粧をきちんとできる人だったらもう少したとえがまともなんだろうな)

 

これ、精神的なリソースを結構消耗する行為だと思う。

毎朝、「今日は何着よう」と迷うのをなくすために何着も同じ服を持ってるって話

スティーブ・ジョブズだったような気がするんだけど)に通じるものがある気が

する。

化粧もこれ→これ→これって順番は決められるけれども、どう塗るか・どれくらい

塗るかっていう部分は服と違って決められないところがあるような気がする。

 

化粧をするって不思議な行為だと思う。

「こう見られたい」と思っている自分を作っていく作業。

自分が思っている自分を、自分の顔に書き出していく作業。

自分の仮面を作っているようなもんだな と思ったりすることがある。

 

だから、精神的に追い詰められていると化粧するのが苦痛になる。

そんなこと考えるリソース残ってないから。

精神的にどこかバランスを崩している時は、どことなく化粧をした自分の顔も何か

バランスが崩れているような気がする。

 

たいした化粧をしていない人間がここまで思うのだから、きれいに化粧してキリッと

キメているお姉さま方はすごいなあ と素直に思う。

 

そういえば最近、この歳になってはじめてマスカラに手を出してみた。

まつ毛の長い人(男性だけど)と会う機会があって、あまりにもまつ毛が長いので

これくらいまつ毛長いとどんな感じなんだろうという好奇心が勝った。

 

少しだけ塗るのは楽しいんだけど、気合入れて塗るとまばたきするのが重たい。

まつ毛が長い人も大変なんだなあという新しい発見だった。

2年経ったよ

こんばんは。

 

びっくりするほどこの3連休を家で引きこもって過ごし、明日は仕事じゃん!!と軽く

絶望に似たような驚きでいっぱいです。

いや、本当に何もしなかった。

生産性ゼロ。

 

それはさておき。

このブログを始めてから早くも2年が経ちました。

(大幅に更新していない時期があって、こう宣うのは図々しいけども)

とりあえず、完全にネットの海の藻屑と化すのは食い止めました。たぶん。

更新頻度は低めですが、これからも更新しますよ~。

 

夏の終わりに

今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏」

 

夏の終わり~♪

 

お久しぶりですっ!!

生きております!!!

(誰に向けた生存報告なんだろう)

 

さて、夏が終わりそうです。

今年の夏は、なんだかあっという間に過ぎていきました。

 

どこかに旅行に行ったわけでもなく。

花火を見に行ったわけでもしたわけでもなく。

連日のうだるような暑さに身が溶けるような心地で、休日になると部屋に大の字に

寝そべって、扇風機の風を浴びて窓の外を眺める。

 

一言でいうと怠惰 に尽きますね。

 

 

…やっとこさ、仕事が落ち着いたのだから束の間の安らぎを求めても良いではないか!

(開き直り)

 

さて、そんなひと夏でしたが、仕事で外に出た時に駅のホームから見た景色が

「なんだか夏だなあ」という空気でいっぱいだったので撮ったのがこちら。

 

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夏の空ってなんで近い感じがするんでしょうね。

 

秋になると空が一気に高くなってしまう。

その感じがたまらなく寂しくて、でもどこか凛とした気持ちになるんですよね。

 

夏の空が見られるのはあと、どれくらいなんだろう。

夢見る力

少し前までは、「こういう話を書きたい」とか「もし、こうだったら」とか、

そういう子供のような想像で暇な時間を過ごすことができていた気がする。

 

少し前までは、「この本、面白いなあ!」とか「この映画観に行きたい!」とか、

そういう欲がもう少しあったような気がする。

 

少し前までは、「どうしようもなく腹が立つ」とか「絶対、見返したる」という

エネルギーがあったと思う。

 

なんだか最近、忙しい という言葉に負けて少しずつ夢見る力を失くしている気がする。

楽しいこと、嬉しいこと、怒りや憎しみ、悲しみをエネルギーにすることなく、

ただただ毎日を過ごしている気がする。

 

私はこれで良いのだろうか と思う。

何者にもなれないのだ という事実を淡々と「はい、そうですか」と受け止めていて

いいのだろうかって。

愛想笑いが少しずつ上手になって。

それでいいのかって。

 

そのまま夢見る力をなくしていって、自分はそれでいいのかって。

 

今、きちんと自分と対話しないでいつするのかって。

 

帰りの電車で窓に映る自分の顔を見て、時々そんなことを思う。