シャッターチャンスを探して

探しているものはきっと、日常の中に。

化粧の話

以前、書いたか書いてないか忘れてしまったけど、精神的に追い詰められると

自分の顔とか姿を客観視するのがとてもしんどくなる というのは本当だな と

実体験をもって思った。

 

具体的に書くと、朝起きて顔洗って、鏡を見る。

化粧水をパタパタして乳液を薄く伸ばして肌になじませる。

ここまでは何とかなる。

(ダメになってくると、化粧水をパタパタする時の肌感覚がなんかダメになってくる。

 結果として何もできず、すっぴんのまま外に出る時間になってしまうのだけど、

 だんだんと億劫になってノーメイクで出かけるようになった。最終形態の話)

 

少し話がそれたので戻そう。

で、何とか乳液を顔に塗りたくるところまでは鏡を見なくてもできるのだが、

下地やファンデーションを塗るとか、アイメイクやチークという段階になってくると、

鏡を見ながらしないとなかなかうまくできないよね というので、鏡を見る必要が

出てくるのだけれども、しんどいのだ。これが。

 

鏡で自分の顔を見ながら「今日は少しやつれてるように見えるから、チークの入れ方

気をつけよう」とか「アイメイク、ついつい塗りすぎて目に謎の迫力が出るから少し

セーブしながら塗ってみよう」とか「そもそもこの口紅、自分の顔色と合わないな」

とか、そんなことを思いながら自分の顔を加工(語弊はあるかも)していく作業の

ような気がする。

(化粧をきちんとできる人だったらもう少したとえがまともなんだろうな)

 

これ、精神的なリソースを結構消耗する行為だと思う。

毎朝、「今日は何着よう」と迷うのをなくすために何着も同じ服を持ってるって話

スティーブ・ジョブズだったような気がするんだけど)に通じるものがある気が

する。

化粧もこれ→これ→これって順番は決められるけれども、どう塗るか・どれくらい

塗るかっていう部分は服と違って決められないところがあるような気がする。

 

化粧をするって不思議な行為だと思う。

「こう見られたい」と思っている自分を作っていく作業。

自分が思っている自分を、自分の顔に書き出していく作業。

自分の仮面を作っているようなもんだな と思ったりすることがある。

 

だから、精神的に追い詰められていると化粧するのが苦痛になる。

そんなこと考えるリソース残ってないから。

精神的にどこかバランスを崩している時は、どことなく化粧をした自分の顔も何か

バランスが崩れているような気がする。

 

たいした化粧をしていない人間がここまで思うのだから、きれいに化粧してキリッと

キメているお姉さま方はすごいなあ と素直に思う。

 

そういえば最近、この歳になってはじめてマスカラに手を出してみた。

まつ毛の長い人(男性だけど)と会う機会があって、あまりにもまつ毛が長いので

これくらいまつ毛長いとどんな感じなんだろうという好奇心が勝った。

 

少しだけ塗るのは楽しいんだけど、気合入れて塗るとまばたきするのが重たい。

まつ毛が長い人も大変なんだなあという新しい発見だった。